脾
漢方での脾と西洋医学での脾臓は全く異なり、理解が一番難しい部分です。西洋医学での脾臓は赤血球の回収の場となっています。赤血球の寿命は120日で、脾臓で回収されると聞いたことがあるかもしれません。漢方において脾は広い意味で消化吸収機能全般を意味し、胃・十二指腸・膵臓・脾臓・小腸・大腸を包括しています。脾の調子が悪いというのは消化吸収ができていないことを意味しています。
・運化
運化というのは食べ物を消“化”し、全身へ巡らせる作用のことです。
西洋医学的にみても、胃からは胃酸、ペプシン、膵臓からはアミラーゼ、トリプシン、リパーゼが分泌し、食べ物を消化します。十二指腸では胆汁と膵液が交じり合い、腸へ送られ、栄養、水分が吸収されます。
「脾は後天の本たり、営衛気血生化の源たり」
腎を先天の本といい(生まれながらにもっているエネルギー)、それに対し脾は後天の本といいます。生まれ持ったエネルギーだけでは生きていけないので、脾から絶えず栄養を補給しなければなりません。それが営衛気血の源となっているのです。
・昇清
昇清というのは食べ物を吸収し、全身へ栄養・水分をめぐらせる作用のことです。運化よりも昇清の方が吸収する意味合いが強いです。
西洋医学的にみても、小腸では糖類はマルターゼなどにて二糖を単糖へ分解し、吸収し、ジペプチダーゼにてジペプチドをアミノ酸へ分解し、吸収し、大腸にて水分を吸収します。さらに膵臓からはインスリンが分泌され、ブドウ糖は筋肉に取り込まれ、エネルギーとなります。まさに脾が昇清によって、栄養・水分を吸収し、それを全身へめぐらせていることがみてとれます。
脾の働きが悪ければ消化吸収されず、下痢などの症状となります。お腹の調子が悪いと言うときは脾の働きが悪いことを示しています。ここで重要になるのがセロトニンです。体内に存在するセロトニンのうち90%は腸に存在します。セロトニンのことを最近では“幸せホルモン”と呼び、聞いたことがあるかもしれません。このセロトニンは実は下痢の原因になります。セロトニンは5-HT3受容体に働くと腸管の運動を活発にし、排便を促し、過度になると下痢となります。下痢になりやすくなるということでラモセトロン(商品名イリボー)という薬は5-HT3受容体をブロックし、下痢を抑制し、下痢型の過敏性腸症候群につかわれます。セロトニンと脾のつながりは血小板とも関連があります。セロトニンの90%は腸管に存在し、8%は血小板に存在しています。後述しますが、脾とセロトニンの関係から血小板(出血に関する因子)にも関連があることは興味深いです。
昇清は“昇”という字からも上ベクトルへ働いています。上へもちあげることで内臓を適した位置に配置しています。脾の昇清の力が衰え、上へ持ち上げることができなくなると胃下垂、脱肛のように内臓が下に落ちてきます。胃下垂、脱肛の適応がある有名な漢方薬に補中益気湯があります。ツムラの補中益気湯の“効能又は効果”には“消化機能が衰え、四肢倦怠感著しい虚弱体質者の次の諸症:夏やせ、病後の体力増強、結核症、食欲不振、胃下垂、感冒、痔、脱肛、子宮下垂、陰萎、半身不随、多汗症”胃下垂、脱肛の文字がきちんと記載されています。
・統血
統血の統は統る(すべる)、つまり一つにまとめるという意味です。脾には血が血管から漏れ出ないようにする作用があります。脾の能力が落ちると統血することができなくなり(脾不統血)、皮下出血、不正出血などがおきます。帰“脾”湯などが使われることがあります。
実際に西洋医学的にみても、脾臓には血小板のうち、血液中の3分の1が貯蔵されています。脾腫の症例では血小板減少症がみられ、出血傾向となります。骨髄の造血機能に障害がある場合は脾臓によって血液がつくられることになります。脾臓で赤血球の破壊が大きくなると貧血にもなります。
セロトニンの90%は腸管に存在し、セロトニンの働きによって下痢になることからも脾とセロトニンの関連について述べました(脾虚による下痢:啓脾湯や参苓白朮散などがつかわれる)。セロトニンは腸管だけでなく、血小板にも存在しています。90%は腸管、8%は血小板に存在しています。サルポグレラート(商品名アンプラーグ)は血小板、血管の5-HT2受容体をブロックし、血栓の生成を抑制し、血液循環を改善します。脾とセロトニンのつながりから血小板、脾の統血作用も説明できます。
血液凝固作用に関わるものにビタミンKがあります。ビタミンKは止血作用があり、出血を抑えます。有名な薬にワルファリンがあり、ワルファリンはビタミンKと拮抗し、抗凝固作用を示します。ビタミンKは納豆、青汁からの摂取や体内の腸内細菌からつくられます。そのため抗生剤の投与や新生児で腸内細菌がまだ定着していないときにビタミンKが欠乏し、血液凝固凝固能が低下します。腸から血液凝固についても関連があります。
・肌肉を主る
脾胃で食物から栄養源を取り入れるため、脾がきちんと働いていれば肌、肉が豊かになり、四肢もしっかりとするということです。身体を大きくするためにはたくさんご飯を食べないといけないですし、たくさん食べれるだけの脾の強さが必要となります。
・口に開竅し、その華は唇にある
「脾気は口に通ず」という脾は口に影響がでます。脾の調子が悪ければ食欲がなくなりますし、味覚にも異常がでます。食欲不振で味覚もあまりしないのであれば脾虚の恐れがあります。脾の影響は口だけでなく、唇にもあらわれます。脾から栄養をきちんと取り込めていれば唇はきれいですし、脾の機能が低下し、栄養状態が悪ければ唇は黒ずむなど症状がでます。
・涎(ぜん)は脾液である
涎はよだれのことです。脾と唾液は関連しており、唾液が分泌されることにより消化を助けてくれます。通常は唾液があふれることはないのですが、脾の働きが悪くなると唾液が過剰に分泌され、口から漏れ出てきます。人参湯を使う際の症状の一つに唾液が口に溜まりやすい、というのがあります。説明したように、唾液が多く分泌されるときは脾の不調です。人参湯には人参が入っており、補脾(補気)することで脾の調子を整えます。そのため唾液が多く出るという症状があるときに人参湯が使用されることがあります。
・志は思である
思は思考、思慮のことです。脾によって正常に思考できます。考えすぎることで脾に影響がでて、食欲がなくなるなどの症状がでます。
・脾は燥を喜み(このみ)、湿を悪(にく)む
燥、つまり乾いている状態の方が脾の働きがよくなり、湿によって脾の働きが悪くなるということ。脾は湿によって影響を受けやすいです。湿というのは中医学特有の概念で表現が難しいのですが、動きの悪い水のイメージです。ドロッとした水です。湿が鬱滞し、煮詰められると“痰”ともいいます。お酒を飲みすぎたり、ご飯を食べすぎたり、アイスなどの冷たいものを食べすぎると脾の働きが悪くなります。脾の機能が低下することで湿を捌く(さばく)ことができなくなり、脾に湿が溜まり、さらに脾の機能が低下するということになり、下痢、むくみ、食欲不振などの症状がでてきます。
日本では四君子湯ではなく六君子湯がよく処方されます。四君子湯に陳皮と半夏が加えられたものが六君子湯です。半夏、陳皮は湿をとる生薬です。湿度が高いこともありますが、過食、アルコール、冷たい物の摂取にて現代の日本人は湿が溜まりやすい傾向にあります。その湿を取り除くためにも四君子湯ではなく、半夏、陳皮の入った六君子湯がつかわれ、抑肝散ではなく、抑肝散加半夏陳皮が使用されます。
痰湿の考えは漢方において非常に重要です。胃腸で痰湿が滞れば消化器症状に影響を与え、関節に痰湿が溜まれば関節痛となり、脳に痰湿が溜まればめまい、ふらつき、てんかん、認知症になり、子宮に溜まれば多嚢胞性卵巣となります。
・五色
色は黄
五味
五味では甘味
・季節
季節は長夏(夏の終わり、秋と夏の間)もしくは季節の変わり目
脾は夏の終わりということもありますが、季節の変わり目を指すこともあり、個人的には後者の方でとらえることが多いです。脾は栄養を吸収し、体の土台となることからも“土”にたとえられます。土台である“土”が頑丈であれば木々も栄えやすくなります。脾は土台であり、胃の位置を考えてもほかの臓器の中心に位置しています。脾は土であり、中心となっています。土用の丑の日も土“曜”ではなく、土“用”と書き、ここでの“土”は脾のことを意味しています。土用の丑の日というのは夏から秋への季節の変わり目であり、心の夏から肺の秋へバトンタッチするタイミングです。しかし急にバトンタッチできるわけではなく、その間の季節の変わり目の2週間ほどの間を脾が担当し、次の季節への準備をしています。つまり土用は年に4回あり、季節の変わり目は次の臓へバトンタッチする時期であり、体調を崩しやすいので脾が支え、次の季節の準備期間としています。